それについて貴方は

 

 

墓場に軽い気持ちで入って行く行為、は普通に考えたらタブーなのだろうけど、わたしはのそのそと墓場に入って行く彼の背中を追いかけて、「無断立入禁止」の看板を横目で見つつ、セミの鳴き声の連鎖にやられ、ふらふらと付いて行った。

 

「お盆になると霊界と繋がるけど、何度もそれを繰り返したら、魂が成仏するらしい」と彼が石畳の道をその長い脚で颯爽と駆けていく、わたしは無限に広がる石で出来た色んな形、いろいろな慰霊のかたち、花の無いグレーのかたまりに刻まれた名字たちを見て、へえそうなんだと言った。成仏できるのであれば何度だっておいでよと思いながら、ひとつひとつの名前を心で読み上げていく。浦田さん。平川さん。いろいろな人物の死がここに連なっていると考えるとちょっとなんだか救われた。

 

もしかしていたら死ねていたかもしれないと医者に告げられたのは一昨日、救急車を呼ばずに助かったのは奇跡のようだと言われた。

多量服薬をするのはいつもの癖だったし自殺未遂も過去に二度したことがあるが、今回は予想せずに死に至ったかもしれないと思うとゾッとしたが、救われなかったのかと言う気持ちになった。

 

茶店で彼が 言葉には力があるからそれを自覚していればおざなりにすることはないじゃんね と言っていて 私は今まで恋愛の相手に言葉をおざなりにされたことばかりあったなと思った。歩み寄る努力を拒絶される感覚ばかりしていた。しかしこれは絶望であり、これからの救いの言葉でもあった。煙草を吸いながら「話してるだけで楽しいのは 嬉しいことですね」と笑う横顔を見て「それって褒め言葉?」と笑いかけたら、「そうだよ」と目を合わせずに笑ってくれる、そんなささやかな愛情表現、それを反芻するだけで生きていけるなと思いながら、風呂場のシャワーから出る透明な水を見た、その喫茶店で見たおひやの透明度 つめたさ。