ラブレター

 

精神病棟から退院して、もうすぐ1か月が経つ。

昔の書いていた記事を読んでいて、なんだか他人のように思えるぐらい、私は色々変わった。

 

死についてそんなに考えなくなった。極端な思考を辞められたのは、入院中にひとり白い部屋で考えることが増えたことが大きいと思う。入院前はずっとiPhoneと睨めっこして、他人の幸せに舌打ちをして自分と比べ、あの子には勝てない、負けてる、とか、アホらしいことをずっとしていた。また、いろいろな事件(失恋、それによる自殺未遂、予備校強制退学、心身不調による個展の中止、など)の影響をぼやかして、笑うために、ありえない量の市販薬を毎日投与していて、本当に記憶もあまりなく、嫌なことを他人に言ってしまったり変に攻撃的で、縁の切れた人間もたくさんいた。

ガキだった。

 

私の居た病棟は、若い女の子が主に入院するところで、プラス、溢れかえった認知症病棟のおばあちゃんがいる、なかなかカオスな場所でそれなりに面白かった、自分の腕の傷は何も思わないのに、他の女の子の腕の傷を見たら苦しくなって、私の友人たちも同じ気持ちになってるんだろうなと思い、余計に苦しかった。そしてなにより、親と離れて文通することが良かった。距離を取って、大事なことを伝えられる、恥ずかしいことでも。私は両親のことが大好きで、愛していると実感できた。また、愛されて育ったことも、実感している。

友達からもたくさん手紙が来た。恩師からも手紙、絵本、絵が届いた。とても幸せだった。

自分のために時間を割いて、文通してくれたことに心から感謝している、そしてやっぱり自分は周りに恵まれて生きている、本名の名前の由来のとおりだ。

 

死ねない、と思うことが多くなった、気分の浮き沈みは相変わらず、影響を受けるとたまに酷くなるけれど、自分がつらいからって、勝手に周りを裏切って死ねない、そう思えてきた。「死んだらウチはどうしたらいいんだ」、そう言ってくれた愛する友人の顔が浮かぶ。「あなたはあなたのままでいいんだよ」と言ってくれたあの子は。私を産まれてからずっと抱きかかえてくれる母の腕、不器用な父の愛情。そういう救われた体験を蔑ろにしていた自分が情けない。

本当に、私の周りの人達は優しく、強く勇ましいのだ。

 

たくさんの人を裏切った、傷つけた、その過去は変えられないにせよ、未来のかたちは変えられると信じている。これからも生きてて良かったと思う瞬間はたくさんあるに決まっている、その瞬間のために生きていたい、あなたたちと笑ったり泣いたりしていたい。