私たちは何があっても天使だった

 

19歳の時、自分が本当に天使だと思えた瞬間があって、鮮明に覚えている

 

古着屋で買った小花が散りばめられたデニムの半袖のロングワンピース、黒髪ロングで、真っ黒いアイシャドウをしていて、ベランダで濃いめのカルアミルクを飲んで、キャメルを吸っている時だった

不意に飛べる気がするくらい幸せな気持ちになって、どこまでもいけると思った。

 

私と友達はみんな天使で、本当はこんな世の中にいるべきじゃないと思った

ちっちゃな部屋から飛び出し、もっと大草原で走り回ったり、果実をかじって瑞々しさに幸せを噛み締めたり、するべきなんだと思った

その気持ちを久しぶりに思い出せた。

 

20までに死のうと中学の頃から意気込んでいたから、19の時は本当に怖いものがなかった

愛した人に嫌われてしまうこと以外、何も。

結局生き延びて21の秋、この文章を打っているわけだけれど。

感覚が鋭くてすぐぼやかそうとする癖があるけれど、そんな必要はないんではないか

どんなにぼろぼろになっても自分を側で抱きしめてあげられるのは自分なのだから、感じたことに嘘をつかず、どれだけ泣いてしまっても、薬やいろいろなもので、今日見た花の鮮やかさを忘れたくない。

黄色の菊に似た花、透明な幼虫を今日見た、

その時そんなことを思い出した。

無題

 

10錠以上の薬を毎日欠かさず飲まなければ、私はこの世界に適応することができない、自分の心の声を殺す錠剤や、朦朧として何も考えさせられなくさせる錠剤、衝動的に動けなくさせる錠剤、いろいろ

中学の時からずっとお薬を飲んでいるが、たまに疑問に思うことがある、本当の自分は何を考えているのか、わからない、だって抑え込ませてるから、錠剤なしの生活は考えられない、だって飲まなければ、大変なことになって苦しめられることぐらい予想がつく、でも、私を押し込めてまで、居るべき世界なの?ここは、そんなに価値がある場所?

そういう時、ふと、死んでしまいたいなと思ってしまう。

自分が自分で居ることを否定され続けているのと同じような感じがして、それは他人にも自分にも危害を加えるから、わたしは自分じゃなくなるために毎度薬を飲む、そして逃げ込む、1人だけの部屋で、理想の部屋を作る。

猫足バスタブに透明なお湯、白色のタイル、蝶の置物に、リボンのかかったプレゼント、暗い色を放つランプに天蓋のかかったベッド、赤いベルベットの絨毯、たくさんの書物、絵を描くためだけの部屋、大きなレコードをかける機械、

ラブレター

 

精神病棟から退院して、もうすぐ1か月が経つ。

昔の書いていた記事を読んでいて、なんだか他人のように思えるぐらい、私は色々変わった。

 

死についてそんなに考えなくなった。極端な思考を辞められたのは、入院中にひとり白い部屋で考えることが増えたことが大きいと思う。入院前はずっとiPhoneと睨めっこして、他人の幸せに舌打ちをして自分と比べ、あの子には勝てない、負けてる、とか、アホらしいことをずっとしていた。また、いろいろな事件(失恋、それによる自殺未遂、予備校強制退学、心身不調による個展の中止、など)の影響をぼやかして、笑うために、ありえない量の市販薬を毎日投与していて、本当に記憶もあまりなく、嫌なことを他人に言ってしまったり変に攻撃的で、縁の切れた人間もたくさんいた。

ガキだった。

 

私の居た病棟は、若い女の子が主に入院するところで、プラス、溢れかえった認知症病棟のおばあちゃんがいる、なかなかカオスな場所でそれなりに面白かった、自分の腕の傷は何も思わないのに、他の女の子の腕の傷を見たら苦しくなって、私の友人たちも同じ気持ちになってるんだろうなと思い、余計に苦しかった。そしてなにより、親と離れて文通することが良かった。距離を取って、大事なことを伝えられる、恥ずかしいことでも。私は両親のことが大好きで、愛していると実感できた。また、愛されて育ったことも、実感している。

友達からもたくさん手紙が来た。恩師からも手紙、絵本、絵が届いた。とても幸せだった。

自分のために時間を割いて、文通してくれたことに心から感謝している、そしてやっぱり自分は周りに恵まれて生きている、本名の名前の由来のとおりだ。

 

死ねない、と思うことが多くなった、気分の浮き沈みは相変わらず、影響を受けるとたまに酷くなるけれど、自分がつらいからって、勝手に周りを裏切って死ねない、そう思えてきた。「死んだらウチはどうしたらいいんだ」、そう言ってくれた愛する友人の顔が浮かぶ。「あなたはあなたのままでいいんだよ」と言ってくれたあの子は。私を産まれてからずっと抱きかかえてくれる母の腕、不器用な父の愛情。そういう救われた体験を蔑ろにしていた自分が情けない。

本当に、私の周りの人達は優しく、強く勇ましいのだ。

 

たくさんの人を裏切った、傷つけた、その過去は変えられないにせよ、未来のかたちは変えられると信じている。これからも生きてて良かったと思う瞬間はたくさんあるに決まっている、その瞬間のために生きていたい、あなたたちと笑ったり泣いたりしていたい。

 

配役

 

土曜日の慣れない土地の喫茶店はすごく混んでいて、喫煙ルームで煙草を目を瞑りながら吸いつづけて3時間ぐらい、えづきがとまらなくなった久しぶりに、なんか嫌な予感がする、お母さんの顔が浮かぶとすぐ家に帰りたくなる、グリーン車に乗りたい、リクライニングで一気に2個、椅子を後ろに傾けて

地元まで一気に!下るのだ!

 

理想の自分になれないことに慣れて、全てに対して「はぁ。」みたいな反応しかできなくなってきた。

どんどん空が夕暮れになっていくと、私の涙腺はアホなので、2018年の秋のあの日を思い出して、戻りたい、彼のところにと泣いてしまうが、もう彼への連絡手段はハサミで彼がぱちんと何も思わず(おそらく、多分。絶対かもしれない)切ってしまったから、ひとつのきらきらしたかたまりが消えて、私の心の中はドロドロしたものだけちょっと残っている感じがして毎日何も嫌なことなんてされてないのに、涙が出てきて、わかんないなら触らないで、来ないで(本当は構って欲しい)

見ないで、誰も近づかないで(本当は気づいて欲しかった)

聞かないで、笑えてるし(聞いて欲しいし、笑うのが下手になっていく日々)

 

どうでもよかったよ。モブAでもなんでも良かった。彼の中での私の配役は。もう演劇にも出させて貰えなくなった、クビになった。

 

2021.317

 

ノートに記したものをそのまま書き下ろしたもの

 

未来のある発言なんて

もうしない

わたしには希望も何もない

解っていることでしょう

恋愛の神にみはなされたちいさな子供

それが私であり

あるべき姿。

 

死ね死ね死ね死ね

こんな肉体など消えてしまえ

泡沫の時間を楽しみ、そのまま消えてゆく

もう何だっていい

何にだって捧げてやる

この機能しないバカな女性性

捨ててやる

死ね、アホバカ

 

縦に 深く深く切った。

今までに見たことのないふかさ

こわくて、美しく痛くはない

縫わなきゃいけないのかな

苦しい 生きることが

苦しい 関わることが

肉体をいじめたい

治らない傷

心と同様

私はしでかした大きな罪

ママが泣くのは目に見えていること、

 

ふるえている小さな身体にそっと怯えながら、触れてくれる人が1人でも居れば良かった。傷だらけになるまえに私の全てをあらいざらい話したかった

そんな欲望は叶わぬまま16.17.18.19.20 次は21へと

時は過ぎていって すべて私の過ちなのだけど消えてしまえばよかった

夢のある高校生徒のうちいなくなってしまえばよかった そしたら

きっとすこやかな夢をみてあの世に行けたかもしれなかった たられば なんて醜いかもしれないけらど

10代のうちに全て終わらせれば良かった 何も知らぬうちに 私が異性と関わるとロクなことにならないことに気づく前に全て終わらせたかった 長い時間をかけて愛したい人なんてきっとみつからない

その事実に気付く前に早く

電車のホームから飛び降りればよかったんだ

 

あとで後悔することは幾度もある

私はそもそも人とのコミュニケーションが解らなくて、逃げてばかりだったよね わかるよね

罰せられてるんだよ、天に神に何者かに

自傷をやめられない

湯船に浸けたら死ねるのか?中森明菜ちゃんみたく

全てがわからない

どう死ねば良かったのか

いつ死ねば良かったのか

万物が愛とわかっていても

苦しくて仕方ないときどうすればよかったのか

助けを呼ぶ、誰に?両親は多忙で私に構ってなどいられない

友人?そんな姿見せたって困らせるだけだ

恋人?端からいない

医者?薬を処方されるだけの存在に過ぎない

 

誰にも迷惑をかけたくないと思っていた結果

やはり誰にも助けてなんて言えないんだった

貧血でクラクラする

ブレスレットの金具が冷たい

公園はくらやみになってきた

どこかとおくへ

私をつれてってくれさえくれれば

いちから、やり直せますか

神様

痛い、心も左腕も

ズキズキしてイタい

あいつはバカにするだろうな

お前が発端なくせに

みんな自分の罪を忘れてのうのうと生きている

私だけ何度も自分を罰している

正しい?まちがい?

どう生きればすくわれた?

 

もう手遅れなら最初からだめにしてしまおう

私を取り繕うのはやめて

傷だらけのうでで立つしかないよ

酔ってどれだけ飛んで逃げても

サイレースハルシオンで逃げても

次の日には現実がやってくるんだよ

21歳という重み

何してるんだろという焦り

ここにいると凍死してしまいそう

それでもいっか、

個展終わったら死ぬ?

ライブペイント終わったら死ぬ?

 

わかんないや

障がい者バスにて

 

ひとりごとで発狂するキティのトートバッグのおばさん

 

ずっとにやにやしながらうめき声をあげている少年となんとも言えない顔で手を繋いでいるそのパパ

 

「まなちゃん!」と言ってわたしに抱きつこうとしたおじさん そしてそれを羽交い締めにして止めたそのお父さんみたいな人

 

iQOSを忘れただけで母親に怒鳴り散らかす

ADHD境界性人格障害

わたし

 

障がい者バスの障がい者

いつも何年経っても変わらない

見た目も老けない 発するうめきも変わらない

 

障がい者バスは駅の方向へいく

降りてからはみんなさようなら

どこかの方へ

 

私はタクシーに乗って

予備校に行く元気も消えて

怒りいっぱいで

家まで帰った

どうでもよくない

 

白い格子のドアを開けると貴方がパソコンに向かって仕事をしていて、私はそれを邪魔しないようにそろりとベッドへ入って入眠するといびきがうるさいと叩き起こされた、それは先月のことだけどもうとっくに昔に感じる。録音したいびきを聞かされて「私、こんなの、出してるの?」と青ざめたことを思い出した。

 

私は神経質で、眠剤がないと眠れないのに彼の部屋だけ、彼のそばでだけは安心して眠ることができた、何故だかは知らない、「それすごいよね」と友人にも言われた、ちなみにその友人の家に泊まりに行った時は2時間も寝れず、早朝の舎人ライナーからビルを眺めて海の近くの家まで帰った。

 

人の関係は脆くて、私の軽率な発言で彼を傷つけた、もうあの天国みたいにスヤスヤ眠れる部屋にはもう行けないのだと思った。

悲しみが襲ってきてわたしはいつのまにか深夜3時半、泣きながら海へ居た。

もう2度と会えないなら生きてる意味なんてないから死んでしまおうと思った、自殺してしまったフォロワーの女の子のことを思い出す、白い猫のぬいぐるみ、赤い絵、繊細過ぎたんだろうな、

波に逆らってずぶずぶと海へはいっていった、春の海は冷たかった まとわりつくスウェットが気持ち悪いけれど頑張って足のつかないところまで行ければ死ねるとか思っていた、でも波の力が強くて私は浅瀬に戻されてしまった。

砂の上にうずくまり、たくさん泣いた、大声でその人の名前と、許してよ、ごめんなさい、を沢山叫んだ、私の生き甲斐だった、彼とたまに会えるなら、ちょっとだけでも生きるのを頑張れていた、それなのに、ごめんなさいの連絡にはまだ返信は来なくて、放心状態で家にいて今日も1日が終わった

予備校には行けなかった 欠席理由に死にたくて仕方ないですと書いた

 

もう全てがどうでも良くなった、財布の中身が280円しかないこと、貯金残高もないこと、どうでもいい。