経済的だけ満たされた部屋

 

心の虚しさはお金で解決できると思っていた、どんなに寂しくてもお金を使って欲しい物を手に入れれば、虚しさはたしかに一瞬だけ、ぼやけた。

だけど其れにも限界があると、私は知ってしまった。

お金で買える欲しいものはほぼもう私の部屋の中にある、それらを見て何もわからなくなった。

 

小さな時から自分が欲を持つことが許せなかった。

両親が赦してくれるから、物欲だけには素直に居た。欲しいものは全て未だに買ってもらえるし、裕福な家庭だった。

でも、やっぱり何かしら孤独や虚無は消えなかった。小さな時から。

両親がほぼ家にいないというのもあり、孤独で過ごす時間が多かったせいもあり、一人でいるとこの歳にもなって涙が止まらなくなることが最近ずっと続いている。Pinkのユミちゃんみたいに、物欲に素直に心を埋めるため買い物をする。けど違う。

何かが違う。

 

20210320

 

もう2度と言葉を交わすことのない、彼の描いた私の絵が部屋に貼ってある。彼の簡素で何もない部屋のことをたまに思い出す、あれからわたしには恋人という存在はいなく、8ヶ月も経つ。

 

18歳の時、自分が穴として扱われることが嬉しかった。行為を通じて自分の価値を見出していた、どうせわたしがおばさんになったら誰も見向きもしないなら、穴でもなんでも、なんでも良かった。

 

20歳を越え、人として扱われることに欲求が向いた。作品を通じて考えや感情を伝えること、それに夢中になった。最近は鬱屈していて感情があまり動かないが、曲を聴いて泣いたり、詩集を読んでセンチメンタルになるくらいには復活してきた。

 

あなたのところまでいけたかな、いつもそう思う人がいる、それがどういう意味かわからないけれど、好きな詩集の一節で 兎に角 行きたいんだどこか

見たことも顔も知らない、声も聞いた事ないあの人の、ところまで。

 

酒が入って朦朧とした数日前、縦にアームカットを深く切り過ぎて、連れてかれた形成外科の医者が11針も縫ってくれた。包帯を巻かれる時はいつだって嬉しい。包帯は安心するのよね、と、看護婦のおばさんが言っていて、そうですね、とちょっと笑って答えた。

 

愛することは傷つくことではなく、喜ぶためのことだと、忘れていた、ね

 

神様

 

中学生の時、神様みたいに崇めていた男の人がいた。彼はぶっきらぼうなくせ、気分屋なので偶に私に優しくしたり甘い言葉をかけたりした、中学2年生の私はその通りその悪魔のような神様に翻弄されて、彼のお気に召すまま、認められなくちゃ、と毎日齷齪していた。唯でさえ不安定な性格なのに、もっと私は追い詰められて、気づいていたら神様にも会わないようにし、部屋に閉じこもり腕を毎日のように切り、流れる血を眺めたりするようになっていたのだった。

神はわたしに「全員に好かれるようにしなさい。」と命じたことがあった。

下手くそながらみんなに愛想を振りまいたりした。

「ちゃんと食べてる?」と聞かれるのが嬉しくて、どんどん食べる量を減らし、ガリガリの身体になるために拒食症になった。神様に心配されたかった。

 

全てのルーツは、聞いてほしい人に話を聞いてもらえなかった体験から来ているような気がする。

私は神に心配され、大丈夫だと言われたかった。

愛されるとか、そんなの烏滸がましくて、ただ黙って私の部屋をノックして、調子を確認してさえくれれば。それだけだった。

Facebookのメッセージ欄も、いまだに返事が来ず、既読だけついている。たわいも無い内容だ。去年彼には、第一子が産まれた。

2020年を振り返って。

 

死にたいと思うことが圧倒的に減った。
個展もやりたいし、もっといろんな経験がしたいし
なにより美大に行きたい。行ってみたい。あたりはずれでも新しい環境に行きたい。この決意は本気だから、揺らいだらこの日の日記を見返したい。
わたしは美術が好き、死ぬほどすき、作ることが好き、生きがい、そう生まれたんだからそうするしかないんだ。
どんな自分でもそれを受け入れて愛せって戸塚祥太が言ってた。彼はほんとに綺麗な言葉を紡ぐ。
わたしはまだ弱いところがたくさんあるけれどそれでもこの1年で相当考えも変わり強くなった。世の中への疑問も尽きないけれど、だったら自分がそれを変える手助けへなれたらいい。それだけの話だ。
やるべきことをやって、やりたいこともやる。
自分勝手に、いい意味で、

 

今も相変わらず川に居座って文章を書いている。わたしは言葉を扱うのが下手でひとつひとつ咀嚼しないといけなくて、でも記録として残したいからブログをやって居ます。

 

2020年は肩書きなどなかったけれどだからこそ自由で、色々な体験をした。チャレンジすることが苦手で怯えて居た子供時代の自分からは考えられない。

好きを貫くことだけは昔から自分でも周りからも褒められることで、無力かもしれないけれどその力は誰にも負けない、てか比べられるわけない、わたしに勝てるものなどいない。

そう信じてがむしゃらに頑張った、ZINE制作、絵画制作、落ちたけどミスiD、苦手だけどヨガ教室、文通、いろいろなこと、書ききれないくらいのこと、それを通して自分の「すき」がまたはっきりしたきてパワーがアップしてきた気がします。

いろいろなものへの敬愛を込めて、2021年もがむしゃらに頑張って今を生きていこうと思う。

鳥の声が聞こえる川、雲の隙間からいま西日が差してきている。

いい大晦日だ、

memory

 

カランとした水の音、透き通った瞳にぼくが映る。本のページを捲るたびに君の声が遠ざかっていく。それを天国と呼ぶのであれば、僕が今まで生きていたのは天界の端っこ。すごく遠い端っこにいた。地獄ではない、暗い天国の端っこで、羽を抱えて、地を張っていた。きっとそうに違いない。君がストローで啜るレモネードに、淡い蒼色のネックレスの涙型のチャーム。なくしてしまったの、と少し悲しげにそれを弄る君の目に遠い遠い空が見えたこと、内緒にしておきたいな、君がいた天国と僕のいた天界の端っこ、つなぐ橋は何処にあったのだろう。きっと一生分からないかもしれない、分からなくても良いと思えることがやはり天国のルールなのかもしれなくて、そっと微笑む、きみに、有難うを、ずっと。そんな言葉では足りないかもしれないけれど、ずっとずっと愛していること、ぼくの中では誇りで、何一つ成し遂げられないぼくの、唯一のひかりであること。ずっと日記に記しておこう。

12月6日

 

 

リストカットの跡を見せてくれたね

 

あの夜はまあどうでも良くはないのかもしれないけど

君と僕はもう違う場所にいる。

 

夜中の公園で煙草を吸うと、チャリンコの音と煙を吐く音だけが響いて、なんだかすこし、生きている心地がしなくなって良いと思ったりした。

 

誰かの足音、鍵のじゃらついた音。

無限に広がる芝生。

 

夜の公園で人と喋るのが好きなの。

わかってくれるかな。わたしのこと。

土曜日

 


ほっぺたにキス!バターいっぱいのトーストを頬張る!

投げ出された700円の小銭、コーヒーの膜。

カラカラと鳴る氷をすり抜けたらそこはまるで見たことない桃源郷なのではないだろうか?

フォーク、スプーンが弧を描いて

飛んできた少女がキャッチ!

4人の子豚、あまい空気に耐えられず

狐色のこんがりとしたトーストが

僕を包む…

そんなこんな土曜日を過ごしていますが

カプセルを噛んで、ドン・キホーテのライターで

煙草に火をつけて

それが道標になって

すべてが繋がっている!

レモンいろの羽根!

僕にはちゃんと見えています

昨日の、チョコレートの包み紙の残骸

咀嚼したチーズケーキ

詰まったストロー

 


動き

 

 

 

動いている、世界が